「エンリケ・・」
俺の首に力一杯しがみつき、ハルが俺の名前を呼ぶ。
「大丈夫だ。イヤだと大声を出して泣いていいからな。我慢して溜め込むと飛んじまう」
ハルの背中を軽く撫でながら、チューブをセットしボディーソープでハルの尻を解す。
「あっ、エンリケ!」
「石鹸を付けただけだ。ほら息を吐け、チューブを入れるぞ」
「やっぱりダメ!怖い!」
立ち上がって逃げようとするハルの腰を抱きこむ。
「ハル!すぐ済む。落ち着け!」
「怖い・・やっぱりヤダ!」
手足をバタバタさせ、パニックを起こしかけている。
「ハル飛ぶな!大丈夫だ・・息を吐け」
「怖い・・・怖い・・」
ガタガタと震える体が恐怖を物語っている。
「ハル〜。そんなに怖いなら、やっぱりアキオを呼ぶか?」
「ダメ・・」
章夫を呼ぶと言われ、ハルがおとなしくなる。
「意地悪で言ってるんじゃない。好きな人に傍に居てもらった方が心強いんじゃないか?アキオに抱きしめてもらった方が安心するだろ?」
「・・好きだから、見られたくないんだ・・」
「その気持ちは分からなくないけど、今の状態で怖さに耐えられるか?」
ハルは黙って考え込んだが、やっぱり呼ばないと言い張った。
「わかった。じゃ俺にしっかりしがみつけ」
「エンリケ・・」
「早く終わらせよう。怖い時間が長引くだけだ」
ハルの頭を肩口に押し付けると、すばやくチューブを挿入した。
「あっ! やだ!」
「ハル、気をしっかり持てよ」
俺は声をかけながら栓を開けカウントする。
「あー! ヤダー! エンリケ!!」
半分もカウントしないうちにハルが凄い力で暴れだした。
「ハル! わかった。止めるから落ち着け」
栓を閉めすぐにチューブを抜くと、我慢せずにお湯を出させた。
「あぁ・・イヤだ・・」
「嫌だな。でも腹ん中をキレイにしとかないとな」
ハァハァと息をつくハルの尻に再びチューブを差し入れる。
「待って! もうやめて! もうイヤだー」
逃げようとするハルを抱き込み栓を開ける。
「止めてー! もう入れないでーー! う゛っ・・」
今度は最後までカウントしチューブを抜く。
「ハル飛ぶなよ」
今入れたお湯を排出しながら、ハルはグッタリ肩に頭を乗せる。
「ハル?大丈夫か?」
「ぐっ・・は・・吐く」
ハルは俺から顔を背けると、横にゲーゲーと吐き出した。
「辛いなハル・・もうすぐ終わる。お前はよく頑張ってる」
嘔吐が止まると、涙でグチャグチャの顔を再び俺の肩に埋め震える手で俺の首にしがみついた。
「よし、もう少し頑張れるな? 偉いぞハル」
ハルはもう抵抗をしなかった。
苦しいと泣きながらも、そのあと2回洗腸し溜まった便を出した。
終わったと伝えた途端、意識を手放して眠ってしまったハルを抱え俺は久しぶりに湯船に浸かった。
「こうやって俺が入れてやるのもこれが最後だな。この刺青も見納めか」
浮き上がった刺青を忘れないよう目の奥に焼き付ける。
薔薇の近くを飛び回る2匹の蝶は、ハルとアキオなのだろうか?
風呂から上がるとハルをベッドに寝かせ、章夫とアクトーレスを呼ぶ。
「かなり疲れて眠ってしまったけど、腹の中はキレイになった」
「さすがエンリケ。1人でよく説得できたな」
アクトーレスは音を出さずに拍手して見せる。
「ありがとうございました」
「いや・・早く元気になって、日本に連れて帰ってやってくれ」
章夫は「はい」と頷き、寝ているハルの髪を撫でた。
アクトーレスは処置を済ませた事をドクターに伝えてくると出て行った。
「1つ聞いてもいいか?」
「何でしょう?」
「ハルの白粉彫りって、あんたが彫らせたもの?」
「あ・・いえ。それは2人で決めた事っていうか・・俺の体にもあるんです。場所は違うけど同じ絵が。今どき背中一面に刺青っていうのも、なんだか時代錯誤のような気がして・・俺はやくざの家に生まれたので、当たり前のようにやくざにはなったけど、昔ながらのやり方をそのまま引き継ぐつもりはなくて、金もパソコンで作ってました」
章夫の話に、アクトーレスがインテリやくざと言った意味がわかった。
「でもハルの方が刺青に興味を持ってしまって・・・いつ終りが来てもおかしくない男同士の俺達の関係と違い、絶対に消えない刺青を2人の証にしようって」
「へぇ〜ハルがそんな事を」
「俺はもともとやくざだし、刺青を入れても別に構わなかったけど、ハルは堅気の人間だし刺青を入れさせる訳にはいかないって反対したらどこで聞いてきたのか、白粉彫りなら普段見えないからいいだろうって」
「なるほどね。でも白粉彫りって出来る人が少ないんだろ?」
「えぇ。うちの組に代々仕える彫り師のじいさんが出来るんですが、数年前に引退してしまってたから、無理だとハルには言ったんです。なのにハルの奴、しっかり話つけて了承を取ってきて・・」
「ほお〜ハルって意外と行動派なんだ」
「俺もあの時は驚きました」
「まぁそれだけ、あんたには本気だって事だな」
「これを2人で彫った時、ハルを絶対に守り抜くって決めたのに、こんな事になってしまって・・・」
「いや・・あんたはハルを守ってたよ。自殺を図って運ばれて来てからハルは『アキ』とだけしか口にしなかった。あんたが支えだったんだろう。ギリギリ状態のハルを、なんとかこっちの世界に繋ぎとめてたのはあんたの存在だ」
「ドクター」
「ここでの事は、一日も早く忘れて、二人で幸せに暮らしてくれ」
俺はそう言って部屋を出た。
ハルの退院の日、それは同時にヴィラから出る日であり、俺はアクトーレスと玄関に見送りに出た。
「色々とお世話になりました」
章夫が深々と頭を下げる。
「良かったな、ハル」
アクトーレスが、娘を嫁に出す父親のように涙ぐみながら微笑む。
「はい・・」
ハルは頷きふんわり笑った。
「じゃ、行こうか」
章夫に促され、歩き出そうとしたハルが不意に振り返った。
「どうした?ハル」
俺は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、前に来たハルを見る。
「エンリケ・・ありがとう」
「なんだよ。礼なんて別に」
笑ってごまかそうとしたら、突然目の前のハルが泣き出した。
「エンリケが居てくれたから、今日僕はここに居るんだ。ここに入院中、エンリケが言ってくれた言葉、全部聞こえてたよ。体が言うこと利かなくて返事は出来なかったけど、「アキ」はきっと来てくれるって何度も言ってくれたよね。だから僕は頑張れたんだ」
「ハル・・・」
「もう本当に死んでしまいたかったんだ。生きてるのが辛くて・・すべて終わりにしたくて自殺をしたんだ」
章夫がハルの肩を抱きしめる。
「でも死ななくて良かった。今こうして章夫の隣にまた立てる。エンリケのお陰だ」
「良かったな。幸せになれよ」
「うん・・ありがとう」
「元気でな」
2人の背中を見送りながら、アクトーレスが最後の声をかけた。
「涙ぐみやがって、爺くさいんだよ」
俺は肘でアクトーレスを突付く。
「だって嬉しいじゃないか。ここに居ると、本当の意味でのハッピーエンドって少ないからさ」
「まぁな。俺なんて毎日イカれた犬の相手ばっかりで嫌になるよ」
「担当になって初めてハルを見た時、絶対に壊れるって思った。この犬にここでの暮らしはもたないって。だから予想が外れて、今日のこの日は、俺としてはすごく嬉しいんだ」
「外れちゃいないだろ。王子様の登場がもう少し遅ければ、ハルは確実に壊れてただろうからな」
「あぁ、間に合って良かったよ」
心から喜んでるアクトーレスの肩を「俺も同感だと」叩く。
「今日は久しぶりに飲みにでも行くか」
「そうだな。うまい酒が飲めそうだ」
俺達はその日、夜更けまで酒を片手に2人で盛り上がった。
そう、たまにはこんなハッピーエンドがあったっていい・・
そうでなければ、こんな所では誰もが息が詰まって狂うだろう。
誰も救われないんじゃ、希望を持てずにみんな死んじまう。
でもハルのような犬が居るから、自分もそのハッピーエンドの主人公になりたいと夢物語を描き、犬達は地獄のような毎日を乗り越えて生きていけるんだ。自分もいつか・・と
ハル・・この先は幸せな人生を生きてくれ
俺が思うのはそれだけだ
―― 了 ――
|